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沖縄県の心霊スポット
白梅の塔

沖縄県の心霊スポット 白梅の塔

忘れ去られる

『ひめゆり女子学徒隊』の悲劇と同じ事が、
全部で9つの女学校の女学生で構成された学徒隊でも起こっていた
知られた事実ですが、この事を知らない人は、多い

その現状は、今やその事実を知る沖縄県民でさえ
(直接、戦火を体験したお年寄り以外は)
ほとんど知られていない現状になってしまっているのです。

それの状況物語るのは、『白梅の塔』を訪れる観光客もいない、
それどころか
沖縄県民でさえ訪れる事のない忘れられた供養塔になってしまっています。


『白梅女子学徒隊』の歴史
この場所は、
前『白梅女子学徒隊』とは、
沖縄第二高等女学校の
卒業式(昭和20年3月23日の予定だった)が急遽中止になり、
卒業予定の16歳~17歳()の女学生達を
野戦病院の補助看護婦として、3月6日に組織された女子学徒隊です。


校章が「白梅」だった事もあって後に
『白梅女子学徒隊』と呼ばれるようになりました。
(実際は、洞窟に 診察室 処置室 簡易ベッド 手術室にしていた)


彼女たち『白梅女子学徒隊』は数日間の研修の後、
3月24日に戦場(第一野戦病院)に駆り出されました。
彼女達は、第一野戦病院に配属され、
昭和20年3月23日から沖縄への本格的な空襲が始まり、
4月1日に米軍が沖縄本島での地上戦が開始

本格的に地上戦が始まって、
勝敗は明らかでしたが、2ヶ月以上持ち堪えていましたが、

5月下旬になると砲弾が第一野戦病院にまで飛んでくるようになり、
野戦病院にも被害が及ぶようになってきたようです。

その後、6月に入ってすぐに首里城が陥落し米軍旗が掲げられ

6月4日についに 戦局の悪化により、
学徒隊の解散命令が下された
彼女たちは、いきなり解散命令が下され困惑して、
この時、西に逃げるのか 東に逃げけるのか、きっと意見がわかれたのでしょう。

『白梅女子学徒隊』は、
西の方へ逃げるグループ、東の方へ逃げたグループと
いくつかのグループに分かれたのでした。

これが、彼女達の生死を別れ目になる運命の決断でした。
 
東の方へ逃げたグループは、逃れ生き延びる事ができました。
西の方へ逃げたグループは、日本兵たちと合流する形で、
危険になるとのことで、解散した、
元の野戦病院のあった洞窟壕に逃げ込んでしまったのです。

そして、ついに米軍に洞窟を見つけられたのでした
米軍は、洞窟壕の入り口から、米軍は、投降を呼びかけましたが、

世界的な植民地支配の背景からも有色人種とされる日本人は、
米軍の鬼畜らに捕虜にされると
『辱(はずかし)めを受けるぐらいなら、自決するべし』
白梅女子学徒隊』と日本兵は最期をとげたのでした。

この壕に入っていた者は、全員亡くなっているので、
当時どういった最期をとげたのかは、詳細不明である

その遺体は、身元も判別できないほど損傷が激しかったので、
遺骨の引き取り手は無くその場に放置されていましたが、

東の方へ逃げて助かった『白梅女子学徒隊』の人たちで、
金を出し合って供養塔を建て、
その中に放置されていた遺骨を拾い集めて納めたのが、白梅の塔です。



噂の感想


日本兵の看護のため動員され犠になった女子学徒や教員、
149人を慰霊する塔
慰霊塔にあった2つの地蔵がなくなっているのがわかった。
そして、それは、捨てられているという嫌がら行為があった。

これは、若者のイタズラ行為ではなく、
何者かによる嫌がら行為としかえいない

とても日本人がしたとは、思えないし
ここを知る人間は、少ないので、
それなりに知識を持っている者の犯行としか言えない

 
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